長(zhǎng)渕 剛(ながぶち つよし、1956年(昭和31)9月7日 - )は日本のシンガーソングライター、俳優(yōu)。本名同じ?!搁L(zhǎng)淵 剛」は、誤記。鹿児島県鹿児島市出身(出生は日置市伊集院町)。Office REN(オフィス・レン)所屬。 小簡(jiǎn)介 1977年、シングル『雨の嵐山』で歌手としてデビュー。(※一般的には再デビューの1978年『巡戀歌』を本格デビューとしている。)『順子』や『乾杯』、『とんぼ』、『しゃぼん玉』、『しあわせになろうよ』などのヒット曲を持ち、また、俳優(yōu)としては、『親子ゲーム』や『とんぼ』、『オルゴール』などのドラマや映畫出演で知られる。 ソロアーティストとしてアルバム初登場(chǎng)一位獲得數(shù)12作品という記録をもっている。またソロアーティストでは井上陽(yáng)水、槇?jiān)粗趣趣猡衰伐螗哎雺婴晟悉?000萬(wàn)枚を突破している。 鹿児島市立中郡小學(xué)校、鹿児島市立甲南中學(xué)校、鹿児島県立鹿児島南高等學(xué)校情報(bào)処理科を経て、九州産業(yè)大學(xué)蕓術(shù)學(xué)部寫真學(xué)科中退。 1981年8月、石野真子と結(jié)婚。結(jié)婚式はハワイの教會(huì)で、仲人は吉田拓郎と淺田美代子夫妻(當(dāng)時(shí))だった。1983年5月、長(zhǎng)渕のDV(家庭內(nèi)暴力)が決定的理由で離婚。1987年、元女優(yōu)の志穂美悅子と再婚。 長(zhǎng)女である長(zhǎng)渕文音が、2008年10月公開(kāi)の映畫「三本木農(nóng)業(yè)高校、馬術(shù)部」(監(jiān)督:佐々部清)の主役として女優(yōu)デビューを果たし、今後が注目されている。 大事件 1973年 大學(xué)祭の前座で初めての舞臺(tái)を経験。 1974年 友人と2人でフォークソングのグループ(T&Tグループ タケシとツヨシ)を結(jié)成し、ステージ活動(dòng)を本格化させる。 1975年 福岡県の九州産業(yè)大學(xué)へと進(jìn)學(xué)。 場(chǎng)末のバーで、毎回、泥酔した客や頑固な客から「演歌やらんかい演歌!!」と怒鳴られ蹴られるもオリジナル曲を通した。この時(shí)はまさに地獄の環(huán)境でビール瓶や物がステージに飛んできた(ビートルズのハンブルグ時(shí)代と似ていた)。根性はここで鍛えられたと本人は述べている。そして、ライブハウス(照和)での活動(dòng)が本格化する。 1976年 財(cái)団法人ヤマハ音楽振興會(huì)主催の、第12回ポピュラーソング・コンテスト(通稱ポプコン)、現(xiàn)在のTEENS' MUSIC FESTIVAL)に出場(chǎng)?!河辘螎股健护侨胭pを果たした(注※公式HPやライナーノーツに書かれてある年表には『巡戀歌』とあるがそれは間違い。八曜社発行「俺らの旅はハイウェイ」參照)。 1977年 2月25日、前年のポプコン入賞を機(jī)に、ビクター・レコードより、シングル『雨の嵐山』でデビューするもヒットせず。何故か名前の読み方を「ながぶち・ごう」に変更されていた。編曲は船山基紀(jì)によるものである。 1978年 『巡戀歌』で15回ポプコンの入賞、10月5日東芝EMIから同曲で再デビュー。同年暮れから、南こうせつや莊野真代らとコンサート活動(dòng)を本格化させる。 1979年 3月5日、初のオリジナルアルバム『風(fēng)は南から』をリリース。 7月26日、愛(ài)知県篠島での吉田拓郎のコンサートに特別出演。「帰れコール」(長(zhǎng)渕自身は「帰れって言うんだったらお前らが帰れ」と言っていた)を浴びながらも(拓郎はそんなに言われて無(wú)かったよ、と言っていた。また、実際に「帰れコール」をしたのは一部の観客だけだったとも言われている)堂々と歌い、最終的には大きな喝采を浴びた。 4月から9月まで、ニッポン放送『オールナイトニッポン』水曜日第2部、10月から翌年9月まで、金曜日第1部の、それぞれパーソナリティを務(wù)める。 1980年 6月5日、元々アルバム『逆流』の収録曲であった『順子』が、ファンからの熱い要望によりシングルカット。同年8月にはオリコンのチャート1位に。この曲の大ヒットにより、一躍トップシンガーの仲間入りを果たす。 10月、『ナウ・ジェネレーション/長(zhǎng)渕剛のアピール26』(TBSラジオ)、『長(zhǎng)渕剛のひたすら60分』(ニッポン放送)のラジオパーソナリティを務(wù)める。またこの他、當(dāng)時(shí)山梨鐐平などが結(jié)成していたグループ「Do!」とのジョイントバンド「チョコレッツ」を結(jié)成し、翌1981年まで活動(dòng)していた。 1981年 8月、當(dāng)時(shí)アイドル歌手だった石野真子と結(jié)婚。ニッポン放送『オールナイトニッポン』で意気投合したことがきっかけとなり結(jié)婚した。ハワイでの結(jié)婚式の仲人は、自ら恩師とする吉田拓郎と淺田美代子夫妻(當(dāng)時(shí))だった。 1982年 『青春は手品師』(アルバム『時(shí)代は僕らに雨を降らしてる』に収録)が、ドラマ『王貞治物語(yǔ)』(TBS系列)の主題歌になる。珍しい阿久悠の作詞によるもの。ドラマには長(zhǎng)渕本人もちらっと出演している(貞治の父親役)。 1983年 女性は家を守るという長(zhǎng)渕の意見(jiàn)と石野の意見(jiàn)が合わず、挙句の果てに暴力をふるい石野真子と離婚(嫁姑問(wèn)題だという説もある)。 8月26日、初の主演テレビドラマ『家族ゲーム』(TBS系列)が放映開(kāi)始、俳優(yōu)としても本格的に活動(dòng)を始める。同番組の主題歌であるシングル『GOOD-BYE青春』がミリオンセラーとなる。 ドラマ『青が散る』(TBS系列)の挿入歌『人間(ひと)の駱駝(らくだ)』(歌:大塚ガリバー)の作曲を手掛ける(編曲:瀬尾一三)。因みに作詞は、秋元康、宮本輝の両氏。但し、現(xiàn)在ではこの楽曲の収録が為されたLPは入手が相當(dāng)困難である。 1984年 4月20日、主演したテレビドラマ『家族ゲームII』(TBS系列)放映開(kāi)始。 10月から翌年3月まで、TBSラジオ『スーパーギャング』木曜日のパーソナリティを務(wù)める。 1985年 4月5日、主演したテレビドラマ『家族ゲームスペシャル』(TBS系列)放映。 8月26日、『HUNGRY』ツアーをスタートさせるも、翌年1月の日本武道館での公演を最後に、過(guò)労によりダウン。一時(shí)は重度の鬱狀態(tài)に陥り、予定されていた殘りのコンサートがすべて公演中止となる。 1986年 6月7日、主演したテレビドラマ『親子ゲーム』(TBS系列)が放映開(kāi)始。 10月22日、ギター弾き語(yǔ)りアルバム『STAY DREAM』リリース。このツアーで、センターステージ上に於て長(zhǎng)渕剛がギター1本で歌うスタイルが大好評(píng)を博した。 12月20日、出演した映畫『男はつらいよ・幸福の青い鳥(niǎo)』が劇場(chǎng)公開(kāi)。共演した志穂美悅子と再婚する切っ掛けに繋がった。 1987年 4月10日、主演したテレビドラマ『親子ジグザグ』(TBS系列)が放映開(kāi)始。 8月5日、アルバム『LICENSE』をリリース。同年末の日本レコード大賞にてアルバム大賞を獲得。 8月28日、ゲスト出演したテレビドラマ『スタンド・バイ・ミー 気まぐれ白書』(TBS系列)放映。 1988年 2月5日、8年越しのシングル『乾杯』をリリース、ミリオンセラーとなる。 6月19日、コンサート會(huì)場(chǎng)として、初めて東京ドーム(BIG-EGG)に進(jìn)出。 映畫『男はつらいよ』での共演を切っ掛けに知り合っていた、一歳年上の女優(yōu)の志穂美悅子と再婚(以後現(xiàn)在、2男1女をもうける)。女性は家事を守るという長(zhǎng)渕の意見(jiàn)を受け入れたのか志穂美は蕓能界を引退している。 10月7日、主演したテレビドラマ『とんぼ』(TBS系列)放映開(kāi)始。 10月26日、同ドラマのタイトル曲となる『とんぼ』をリリース、ミリオンセラーを記録する。 12月3日、出演したテレビドラマ『うさぎの休日』(NHK)放映。 1989年 3月11日、主演した映畫『オルゴール』が劇場(chǎng)公開(kāi)開(kāi)始。 3月25日、アルバム『昭和』リリース。ミリオンセラーとなる。 12月23日、主演した映畫『ウォータームーン』が劇場(chǎng)公開(kāi)開(kāi)始。 1990年 12月31日、初のNHK紅白歌合戦出場(chǎng)を果たし、ドイツ・ベルリンで生演奏を披露するが、『いつかの少年』『親知らず』『乾杯』の3曲を約15分演奏、そして放送中の発言が問(wèn)題となり、NHKへの出入りは禁止と報(bào)道された(実際には翌年の『音楽達(dá)人倶楽部』に出演している)。 1991年 10月10日、主演したテレビドラマ『しゃぼん玉』(フジテレビ系列)が放映開(kāi)始。この時(shí)、女優(yōu)の清水美砂との不倫関係が騒がれる。 10月25日、シングル『しゃぼん玉』リリース。ミリオンセラーとなる。 12月14日、本格海外レコーディングアルバム『JAPAN』リリース。 1992年 『西新宿の親父の唄』(アルバム『JEEP』収録)が、『北の國(guó)から-'92巣立ち』の挿入歌となる。 1993年 9月22日、シングル『RUN』リリース。ミリオンセラーとなる。 10月15日、主演したテレビドラマ『RUN』(TBS系列)が放映開(kāi)始。 11月1日、アルバム『Captain of the Ship』がリリースされるが、この頃楽曲の歌詞盜作疑惑が持ち上がる。詩(shī)人・相田みつをに関連したもの。 1994年 9月9日、『Captain of the Ship』ツアーをスタートさせるも、溶連菌感染癥による體調(diào)不良により僅か3公演しか出來(lái)ず、殘りの日程はすべて公演中止となった。 9月23日、桑田佳祐がリリースしたアルバム『孤獨(dú)の太陽(yáng)』に収録された楽曲、『すべての歌に懺悔しな!!』の歌詞の內(nèi)容を巡り、作詞、作曲した桑田と一觸即発の関係に陥る。事の詳細(xì)に関してはすべての歌に懺悔しな!!による論爭(zhēng)も參照。また、女優(yōu)の國(guó)生さゆりとの不倫報(bào)道が大きく報(bào)じられる。 12月1日、ベストアルバム『いつかの少年』リリース。 1995年 1月24日、大麻取締法違反で逮捕されるが、2月3日に処分保留のまま釈放。3月16日に起訴猶予処分となる。 12月26日、自身3度目となる【東京ドーム】にてライブを行う。 1996年 1月1日、再起後の最初のアルバム『家族』リリース。東芝EMI所屬として、最後になるオリジナルアルバムである。 1997年 1月24日、『とんぼ』の続編に當(dāng)たるテレビドラマ『英二ふたたび』が放映。 2月27日、フォーライフ・レコード(現(xiàn)在のフォーライフ・ミュージックエンタテインメント。略稱FLME)移籍。 7月2日、シングル『ひまわり』リリース。 7月10日、主演したテレビドラマ『ボディーガード』(テレビ朝日系列)放映開(kāi)始。 9月3日、アルバム『ふざけんじゃねぇ』をリリース。 1998年 鹿児島県の演歌歌手、日高正人シングル『想い人』発売。日高の歌に感動(dòng)した長(zhǎng)渕が83年に書き下ろしていた曲で、日高の病気が原因で半分お蔵入りとなっていた曲。 1999年 5月1日、主演した映畫『英二』が劇場(chǎng)公開(kāi)開(kāi)始。 2000年 8月12日、最愛(ài)の母・マス子が急性心不全により他界。享年72。 2001年 6月27日、8年ぶりのロサンジェルスレコーディングアルバム『空』リリース。金髪&肉體改造で新たな長(zhǎng)渕スタイルが出來(lái)上がる。 2002年 5月9日、アフガン抗?fàn)帳讼颏堡瓢kした反戦歌『靜かなるアフガン』リリース。しかし事実上の放送禁止。NHKを始めとするテレビ局や各種メディアには採(cǎi)り上げられることが少なく、予想よりも話題にならず。それでも「指きりげんまん」以來(lái)のベスト20位入り。 6月26日、自身の選曲によるベストアルバム『BEST~風(fēng)~』、『BEST~空~』各2枚組リリース。 2003年 4月、ニッポン放送『オールナイトニッポンフライデー・長(zhǎng)渕剛今夜もバリサン』放送開(kāi)始。9月までパーソナリティを務(wù)める。 5月1日、シングル『しあわせになろうよ』リリース。 空手道団體の極真會(huì)館から分派した、新極真會(huì)の発足に際し、同會(huì)の會(huì)歌『新極真會(huì)の歌』(編曲は瀬尾一三と共同)を特別に製作する。因みに同年10月5日に東京體育館で開(kāi)催された、「第8回全世界空手道選手権大會(huì)」の入場(chǎng)者にのみ、同歌のCDが配布されており、店頭販売はされていない。 12月31日、13年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場(chǎng)する。森進(jìn)一に楽曲提供した『狼たちの遠(yuǎn)吠え』では、歌う森のバックで長(zhǎng)渕がコーラス&ギターセッションで參加し、話題になった。 2004年 4月28日、初のトリビュート・アルバム『Hey ANIKI!』がリリース。 8月21日、鹿児島県の桜島特設(shè)ステージで、約7萬(wàn)5千人の観衆(zhòng)を集めてのオールナイトコンサートを敢行させ、大成功を収める。 11月14日、ファンクラブ特別イベント「Thank You LIVE 2004」をスタート。 12月1日、シングル『金色のライオン』リリース。京セラの攜帯電話のテーマソングとなる。CM曲に長(zhǎng)渕の曲が採(cǎi)用されたのは1988年の明治チョコバーBODY(『STAY DREAM』)、1990年頃のキリンラガービール(『乾杯』)等がある。 2005年 8月24日、東映『男たちの大和/YAMATO』の主題歌として書き下ろした『CLOSE YOUR EYES』リリース。自身の主演映畫作品以外での主題歌使用はこれが初めて(テレビドラマでは以前に「逆流」「友よ」「指きりげんまん」等あり)。また、カップリングの『YAMATO』と合わせて、両A面シングルとなっている。両A面シングルは『順子/涙のセレナーデ』以來(lái)2度目である。 2006年 2月8日、東芝EMIより?yáng)|芝所屬時(shí)代のオリジナルアルバムが「24bitリマスタリングアルバムシリーズ」として再発売。 2月21日、立正中學(xué)校・高等學(xué)校100周年記念ライブ。東京都品川區(qū)の立正中學(xué)校・高等學(xué)校の創(chuàng)立100周年記念式典で長(zhǎng)渕が熱唱。バンドメンバーも勢(shì)揃いして、約2時(shí)間におよぶステージで全14曲を演奏。初めはあっけにとられてじっと見(jiàn)つめるだけだった生徒も、遠(yuǎn)慮がちに座ったまま見(jiàn)ていた生徒達(dá)も、そして先生も、いつのまにかライブに引きこまれ、會(huì)場(chǎng)全體が熱気と感性で溢れかえった。會(huì)場(chǎng)には『俺達(dá)の兄貴、長(zhǎng)渕剛』という巨大な旗も掲げられた。このライブ終了後、長(zhǎng)渕は『若い純粋な反応がとても新鮮だった。彼等の真っ直ぐなエネルギーに負(fù)けないように俺も頑張らないとね』と笑顔を見(jiàn)せた。 3月8日、東芝EMIより?yáng)|芝所屬時(shí)代のベスト&ライブアルバムが「24bitリマスタリングアルバムシリーズ」として再発売。 3月19日、「桜島オールナイトコンサート」を記念したモニュメントが建立され、除幕式に參加。 4月23日、作品にも度々登場(chǎng)し、長(zhǎng)渕音楽の原點(diǎn)とも言える父・邦治(くにはる)さんが他界。享年77。 6月29日、鹿児島中央駅アミュ広場(chǎng)でゲリラライブ。來(lái)場(chǎng)は約7000人程。ライブ狀況はエフエム鹿児島『MUSIC POWER STATION feel the μzic DA!!』で生放送された。 7月1日、霧島市で新極真空手新保道場(chǎng)開(kāi)きにてライブ。 7月2日、南日本放送ラジオの第二スタジオでスタジオライブ、観客は抽選で選ばれた約50人。司會(huì)はMBCタレントのスマイリー園田、ゲストミュージシャンはMC般若で公開(kāi)生放送された。 7月14日、『長(zhǎng)渕剛3daysドキュメント』放映-南日本放送TV『Mixx』 7月22日、7月2日公開(kāi)放送で未放送のアンコール部分を南日本放送ラジオで特集して放送。 8月30日、山本寛斎がプロデュースする『日本元?dú)荪抓恁弗Д取ANSAI SUPER SHOW「太陽(yáng)の船」』のイベントテーマソング『太陽(yáng)の船』を手がけることが発表され、同曲が公開(kāi)された。 10月9日、10月16日放送の『くりぃむナントカ』「第2回長(zhǎng)渕ファン王決定戦」に出演。六本木のカラオケBOXにて、観客3人(上田晉也、ワッキー、大八木淳史)の前で2時(shí)間半12曲のライブを行う。あまりの迫力にくりぃむしちゅーの2人やワッキーはもちろん、もともとファンという程ではなかった大木優(yōu)紀(jì)アナウンサーも感動(dòng)して涙を流し、改めてその圧倒的な存在感を見(jiàn)せつけることとなった。バラエティ番組に出るのは『おしゃれカンケイ』以來(lái)のことだが、この出演は第1回「長(zhǎng)渕ファン王決定戦」のスペシャルを再放送を観て心を動(dòng)かされた本人からの「最後に(俺が)出たら面白いだろう」という要望によるもの。有田の似てないモノマネに爆笑するなど収録を楽しんでいた。この圧倒的なライブパフォーマンスは視聴者に強(qiáng)烈な印象を與え、翌週のオリコンランキングに、長(zhǎng)渕のベストアルバムなど數(shù)作品が再浮上した。 2007年 5月4日、幕張メッセで行われた「どきどきフリーマーケット」のステージにゲスト出演し、「Come on Stand up!」をはじめ、自身の曲のライブを行った。その模様はBAY-FMを通じて公開(kāi)されていたが、オンエア後もライブは継続され、フリーマーケット終了30分前まで続いた(これは、観覧していたファンの度重なるアンコールに答えた本人の力が大きい)。 5月16日、4年ぶりのオリジナルアルバム「Come on Stand up!」リリース。全12曲新曲(桜島DVDに収録されていたものの未CD化だった「夕焼けの歌」を含む)、先行シングルなしという昨今の音楽業(yè)界の常識(shí)からすれば型破りなアルバムにも関わらず、オリコン初登場(chǎng)4位。 6月6日~7月11日、自身初となる女性限定ライブ「Lady's Night2007-Acoustic-」ツアー。 9月7日~12月9日まで自身2年ぶりとなるツアー「2007 ARENA TOUR 〜Come on Stand up!〜」ツアーが行われた。 10月12日より放送開(kāi)始の、TBS系列テレビドラマ「歌姫」の主題歌に、長(zhǎng)渕による作詞作曲『青春 SEISYuN』が起用されることになった。歌を歌うのはTOKIOで、TOKIOにとっては中島みゆき、甲斐よしひろに続く大物アーティストによる楽曲提供となった。 2008年 5月14日、21日、過(guò)去に発表された楽曲の中からラブソングを中心にリマスタリング、セルフカバー、リミックスを施して選曲したベストアルバム「LOVE」、「SONGS」を発売予定。
日期:2010-10-13
日期:2010-8-11
日期:2010-11-10